先日、敢行した日本周遊の旅の一つのテーマが古い神社を巡るでした。その奥底には古事記や日本書紀に語られている神話を実感し、さらにファンタジーとして夢想するというものでした。しかし廻っていると神話の理解が不足しているなあと実感しました。
そんな中「天皇家と卑弥呼の系図―日本古代史の完全復元」澤田洋太郎著 という本を手にとってみました。そこには興味深い神話と古代史を結びつける解釈がありました。
著者は、現存する海部(うみべ)氏という氏族の系図と尾張氏の系図の両者に「日女命」(ひめのみこと) があり それが邪馬台国の「卑弥呼」(ひみこ)ではないかとします。海部氏は丹後の国(京都の日本海側、天橋立の辺り)の氏族ですが、その地域の地名と同じ地名が北九州地方にもあり、北九州から丹後に移り住んだと推察します。 丹後には元伊勢と呼ばれる籠神社(このじんじゃ)、その籠神社の奥宮にあたる真名井神社(まないじんじゃ)があります。その真名井神社が祀っているトヨウケの神は伊勢神宮の外宮にも祀れていて、丹後国風土記の天女 豊宇賀能売命 (とようかのめのみこと)と同じで天女の羽衣伝説の元になったのではないかと語っています。
真名井神社は私も訪れたことがあり、その神秘的な佇まいにすざましい古代のパワーを感じたので、そう言われるとなんか納得してしまいます。
海部家、尾張家は系図によると代々天皇家のお妃になられた方が多く卑弥呼から続いて天皇家に影響していたのではないかとのこと。
そして著者は地名の一致などを手がかりに邪馬台国は、今の大分県の宇佐にあったのではないかと推察します。
宇佐市の宇佐神宮といえば八幡様の総本社、古くから皇室より崇めらている古い神社です。古代から重要なところだったのでしょうし、ここに邪馬台国があったと言われても違和感はありません。
そして三世紀半ばに卑弥呼の死後、連合国だった邪馬台国は分裂し、弥奴(みぬ)国王という人がリーダーになり近畿地方に進出し、崇神王朝を建設した。その二代後の景行天皇が九州に行き卑弥呼の後継者たちを征服したのだろうと推察しています。 ちなみに景行天皇の話は一人のものではなく複数の人の功績を一つの神話にしたのではないかというのが著者の推察です。
その後、五世紀の初頭に「応神王朝」が成立しますが、それは九州にあった「トヨ(豊)の国」の氏族の連合勢力が近畿に進出してできた新王朝だったのではないか、神話にある神武天皇の東征は、応神天皇の東遷のことではないかと推察します。そしてこの新王朝に反対した旧大和王朝の支持者は東北地方に落ち延びて行ったと推察します。
ここら辺になると私の知識が追いつかずそうなのかも、と思いながら読みました。
私は日本周遊したときに神功皇后(じんぐうこうごう)の伝説や宗像三女神(むなかたさんじょしん)、「綿津見三神(わたつみさんしん)」など北九州や日本海側にある海への信仰の強さ、韓国との関わりを感じました。それに関し著者は神功皇后は実在しないにせよ韓国が重要であると語ります。
韓国にあった 仁那・日本府が日本の領事館的なところだったらしく、元々ここにいた韓国の人が日本に渡って倭人、大和の王朝につながったのではないかとしています。
真偽はわかりませんが古代には韓国との交易、文化のやり取りが重要だったんだろうなとは強く思います。
著者は元々、高校教師だったのが人生の後半は歴史家として研究し多くの著書を出したそうです。その熱意に頭が下がります。
今まであまり古代史の本は読んでいなかったのですがこれをきっかけに少しずつでも読んでみようかと思いました。
ではでは。