20日目 日本周遊 先日、行けなかった宗像の大島へ。美しい島に神話の世界がありました。志賀海神社と香椎宮にも。福岡は神話の世界が多い
20日目 日本周遊。18日目に宗像大社(むなかたたいしゃ)を訪れたときに時間がなく行けなかった大島に渡りました。
宗像大社(むなかたたいしゃ)は三女神を祀っていますが、そのうち一女神は沖の大島に、もう一神は更に沖の普段は上陸できない沖ノ島に祀られています。今回は大島に渡ってみました。
宗像市は博多から東に車で1時間程行ったところにあります。大島へは、宗像市の神湊(こうのみなと)という場所の港から船が出ています。
朝9時25分出港の船に乗りました。
フェリーなので車やバイクでも渡れます。
私は車は神湊の港に駐車して、島内はレンタサイクルで回ることにしました。
乗船時間は約25分。
大島港でレンタサイクルを借りてまずは、
まずは、ここのメイン、二神目の多岐都比売命(タキツヒメ)を祀る「中津宮(なかつぐう)」へ。
石段を登った先の入口です。
本殿です。こじんまりしていますが、何か威厳があります。
ここにも大きな木がありました。銀杏ですかね。
この後、島の反対側に向かいます。
目指すは「沖津宮造拝所」。渡れない沖ノ島の沖津宮を望みながら拝む場所です。
小高い丘の上にあります。
見晴らしがいいです。
遠くを眺めるとうっすらと沖ノ島が見えました。
本土の辺津宮(へつぐう)、先ほどの中津宮、 沖ノ島の沖津宮(おきつぐう)の線を結んだ先には韓国の釜山があります。
これらの神々が韓国、中国との海運のために祀られていたことが想像できます。
海がとてもきれいでした。
更に島を回り灯台へ。
大正15年に建てられたそうです。
岬の崖の上に立っていました。
灯台から徒歩10分ほどのところに「馬蹄岩」という岩がありました。
一神、田心姫神(たぎりひめ)が馬に乗って沖ノ島へ飛び渡ったときにできた岩とのこと。この先に沖ノ島があります。
ここにも八十八ヶ所の仏様がありました。
今回、回った他の島にもあったので、同様の信仰の風習があるのですね。
港側には「港の小夜島」というかわいい島がありました。
帰り際に昼食を頂きました。
豪華な刺身定食。刺身だけでなく煮つけなどの多くの魚がついています。
お腹いっぱい。
昼過ぎに本土に戻って「志賀海神社(しかうみじんじゃ)」へ向かいました。
『志賀島』という陸続きの島にあります。途中、砂洲でしょうか砂浜が続く風光明媚なところで、海水浴などのよい観光地になっているようです。
ここもワタツミ(海・綿津見・少童)三神という三神を祀っています。
このワタツミ三神はイザナギの命、イザナミの命から生まれた神で、古事記、日本書紀にも記述があります。
本殿です。
古代の九州北部で海上を支配していた、阿曇氏(安曇氏)の中心地がこの志賀島だったのだそうです。
また神功皇后(じんぐうこうごう)による韓国の新羅への出征にも大きくかかわったようです。それらに関する神社や石などがありました。
さてその神功皇后にもかかわる「香椎宮(かしいぐう)」へ向かいました。
ここは朱色の社殿です。
ここの祭神は 第14代天皇『仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)』と その皇后であり先ほども触れた『神功皇后(じんぐうこうごう)』です。
『仲哀天皇』はヤマトタケルの子で、九州南部の部族、熊襲(くまそ)を征伐しようとしたがその途上で崩御され、その後を継いだ『神功皇后』が韓国の新羅へ出征したとのこと。このお二方を祀っていることにより夫婦の宮とも言われているそうです。
全国に十六社ある勅祭社の一社で、九州ではこちらと宇佐神宮の二社だけになるそうです。
ここにもすばらしい木がありました。
杉です。花粉症の方から見るといやな木の種類かもしれませんが、実直な感じがして私は好きです。(花粉症を持ってはいますが。。。)
奥には元のお宮だという「古宮(ふるみや)」がありました。
中には社殿はなく、かしの木がありました。
他にも「仲哀天皇・神功皇后に仕えた武内宿禰が、この泉の水を汲んで食事・酒を調えて300歳以上という長寿を保った」といわれる『不老水』などがありました。
また香椎宮のそばの参道にあたる公道には見事なクスの木の並木がありすばらしかったです。車を運転しながら通ったので残念ながら写真はないのですが、車内でひとり感動していました。一度訪れてみてください。
これらの神社を回りながら北九州地帯が、古代の大和朝廷にとって、韓国、中国との貿易・戦、さらに九州南部との関わりに関しての重要な地域だったことが想像できました。 九州は奥深いです。
夜は立ち飲み屋で一杯。気楽に手頃なつまみで飲めるのはいいですね。博多大好き。
ではでは。