あいしろう blog IMAGINE

想像してみよう。それは何をもたらす? この後どうなる?   ときに楽しい夢を。ときには厳しい視点で。 

6月25日の「どうする家康」は賛否が分かれてる。正直、私にはつまらなかった。

 6月25日(日)放送のNHK大河ドラマ「どうする家康」は、その展開に賛否両論があるようです。正直言って私にはつまらなかったです。 なぜつまらなかったのか?

 このあとネタバレも含みますのでご注意ください。

 

 

 

 

 それはあくまで個人的嗜好の話なのですが、私が大河ドラマの戦国時代劇に求めているものと違う展開だったからです。しかし良かったという方は、戦争に対する気持ち、女性視点での本音が出ているところに共感できるのだと思います。その気持ちも理解はできます。

 

 お話は、有名な徳川家康によって妻 瀬名(筑前殿)と子供 松平信康が殺される(自害させられる)エピソードを描いています。今回はその中盤ですが、ポイントは有村架純演じる瀬名が、戦を止めるために織田信長に反して武田勝頼とともに東国をまとめようと動き、夫 徳川家康を説得してしまうところです。

 

 瀬名は家康に「なぜ戦をするのですか」と問います。それに家康は「自分の領土で不足する物を補うため」と答えます。その答えに対し、瀬名は「奪い取るのではなく、お互いに助けあい、供給しあえばいいのです」と説きます。そしてその言葉に家康は説得され瀬名のやることに従います。

 

 この頃から貨幣経済が普及しだし交換経済が浸透し始めたので、瀬名のセリフには納得できるところはあります。しかし家康の態度に納得がいきません。戦の理由が自国の不足のためといいますが、この頃の戦の原因が権力志向だった面は否めないと思います。足利将軍が凋落し不安定になった世の中で、俺が俺がと権力を拡大しようとした大名の争いだったのだと思っています。

 そんな中、瀬名の言葉に説得されてしまう徳川家康に納得ができないのです。 あっさり説き伏せられるなよと思うのです。家康が織田に付いたままの方がいいか、武田に寝返った方がいいかの判断だと思うのですが、劣勢の武田に寝返るとは想像できないのです。

 

 今回は、今までと違う大河ドラマを作るんだ、家康は気が弱く迷いが多かったんじゃないか?という作者の意図は理解はしています。しかしこの時代にはこうはならないだろうと思ってしまうのです。

 このエピソードには謎が多くどれが真実かはわからないとのこと。だから史実とは違うとは言いません。しかし違和感を感じてしまいます。

 

 この回を見て、結局私は戦国時代のドラマに権力志向のパワーゲームを見たいと思っているのだということに気づきました。それは固定観念だ、男性社会的視点だと言われるとは思います。しかしこの時代は、男性社会だったと思うのです。そのとき苦労した女性が裏にはいるとしても。

 

 この回の感想として「今の戦争のある世界に重なる」という賛辞を見ました。気持ちはわかりますが、でもその考えを戦国時代のドラマに突っ込むなよとは思います。

 

 私は権力志向を好きではありません。しかしそれは好むと好まざるとにかかわらず人の本性としてあり、それが人を、歴史を動かしてきた事実はあると思っています。そしてその権力志向を描いている物語は好きだったりします。

 

 そういえば『パワープレイ』(Power Play)という映画を大昔に観て好きだったことを思い出しました。今観たらどう思うかはわかりませんが、これはまさに権力志向を描いた映画でした。主演は、『アリビアのロレンス』で有名なピーター・オトゥールで、1978年の公開だそうです。

 

 

 

 

ではでは。