東京国立近代美術館で開催されている「重要文化財の秘密展」に行ってきました。会期が5月14日までということに気づいて、”やばい終わっちゃう”と思い、駆け込みで行ってきました。途中展示替えの作品も結構あったので、会期の前半、後半で分けて行くべきでしたね。
そうやって慌てて行った展覧会でしたが、併設展も観て、各作品に感じ入るとともに、『そもそも「重要文化財」とは何だろう』っていうのを考えるいい機会になりました。
東京国立近代美術館70周年の記念ということで
『史上初、ぜんぶ重要文化財』
『「問題作」が「傑作」になるまで』
というキャッチコピーのこの展覧会は
『明治以降の絵画・彫刻・工芸については、2022年11月現在で68件が重要文化財に指定されていますが、まだ国宝はありません。本展ではそのうち51点を展示します。』
とのこと。 全部で68件しかないんですね。
中に入ると展示は日本画から始まりました。
菱田春草(ひしだしゅんそう)の「黒き猫」(1910年)に始まり、横山大観(よこやまたいかん)の「生々流転(せいせいるてん)」(1923年)へ。この作品の展示は、40mにもなる長い絵巻が平置きにされていて、長い列に並んで、ゆっくり歩いて鑑賞する必要がありました。並ぶのが嫌いな私ですが、見たかったので我慢して並びました。 並んだかいあって、作品はよかったです。墨の濃淡で描かれた、源流から下流に流れる水に沿って現実と幻想的な描写が混ざった作品でした。最後の渦状の描写が印象的でした。
私が愛好する竹内栖鳳の絵がありました。
竹内栖鳳(たけうちせいほう) 「絵になる最初(えになるさいしょ)」1913年
恥じらうモデルにインスピレーションを受け、天井画の副産物として描いた作品だそうです。 確かに脱ぎ掛けた服と手で顔を隠す様子に女性の恥じらい感がよく出ています。
源頼朝と源義経の絵もありました。「鎌倉殿の13人」を思い出します。
安田靫彦(やすだゆきひこ)「黄瀬川陣(きせがわのじん」 1940/1941年
洋画に移ると、教科書に出ていた有名な絵が。
洋画で最初に重要文化財に指定されたものだそうです。それは1967年のことだったとのこと。
江戸時代まで日本画しかなかった世の中で、このリアリティのある描写は新鮮だったでしょうね。鮭のザラっとした表面の感じ、塊の感じがよく出ていますよね。
よく見ると、中の骨の描写はあっさりしていました。今回の発見です。
これも有名な絵。 ただ重要文化財に指定されたのは1999年と最近なのだそうです。
黒田清輝(くろだせいき) 「湖畔(こはん)」
この絵もいいですね。明治時代にこのような作風があるのは知りませんでした。
藤島武二(ふじしまたけじ) 「天平の面影(てんぴょうのおもかげ)」 1902年
他にも有名な岸田劉生(きしだしゅうせい)の「麗子微笑(れいこびしょう)」、和田三造(わださんぞう)の「南風(なんぷう)」などの作品がありました。
生で作品を観られるのは、やはり展覧会の醍醐味です。
次は彫刻です。
鈴木長吉(すずきちょうきち) 「十二の鷹(じゅうにのたか)」
シカゴ万博で発表された当時の姿の展示だそうです。このリアリティのある立体彫像には脱帽です。
今回の展示で一番ショックだったのは高村光雲(たかむらこううん)の「老猿(ろうえん)」です。この有名な彫刻は、写真では見たことは何度もあったのですが実物を見たのは初めてでした。その想像を超える大きさに正直びっくりしました。
またそばでディテイルを観られたのもよかったです。 仏像彫刻の技術を展開させて作った木の彫刻の傑作ですね。
残念ながら写真撮影ができなかったので、下記の絵を張り付けておきます。
他にも置物も含め色々な作品がありました。
明治時代になってから、西洋の美術の影響を受けて変遷していく日本の美術の様子が有名作品で確認できる、実物をこの目で見られたのは良かったです。
この重要文化財の展示の他に「所蔵作品展 MOMATコレクション」、「修復の秘密」という展覧会を併せて開催していて、こちらの方が作品数も多く鑑賞には時間を要しました。そして作品のすごさ、充実度も本展に負けず劣らすでした。
「修復の秘密」にあった 藤田嗣治 「 五人の裸婦」(1923年)
岸田劉生 「麗子肖像(麗子五歳之像)」(1918年)
この模様の組み合わせで見せる画面の力は圧巻ですね。
草間弥生 「天井よりの啓示」(1989年)
拡大した模様
写真で紹介したのはほんの一部で多くの作品が展示され、印象的な作品もたくさんありました。正直、全部を観るのは疲れました。
この併設展を観ると、これらの作品の力がすごくあったので、本展の「重要文化財」って何なんだろうと改めて考えさせられますね。まあ官庁がお墨付きを与えるというのは、文化保護、促進のためには大事なんでしょうけど、それは累計68件しかないわけで。
そういう指定を超えてアートはもっと自由に発展していくし、そうあってほしいものだと思います。評価も人ぞれぞれですし。
個人的には、観て、感じて、いいなと思う作品を大事にしていくしかないんでしょうね。
ではでは。