日本周遊 まとめ その5。 戦国時代、その中でも成功談というより悲劇に興味がわきます。
38日間の日本周遊で戦国時代にまつわる場所も訪れました。そんなに熱心な戦国ファンではないので、それほど行ってはないですが、興味の赴くままに周りました。私は成功より悲劇に惹かれるようです。
■織田信長にまつわるところ
織田信長って武将には、尾張という弱小国の”うつけ”と呼ばれた人物が各国を制圧して拡大するさまに、すざましい躍進だなと感心はします。しかし、その無謀な力の振る舞いが気にかかり、絶対部下にはなりたくないタイプの人で、逆に破れた側に思い入れをしてしまう自分がいます。
そんな面から是非行きたいなと思っていたのが福井県の一乗谷朝倉氏遺跡と三重県の伊賀の里でした。
〇一乗谷朝倉氏遺跡(いちじょうだに あさくらし いせき) 福井県福井市
京都が乱れた応仁の乱の時代、1470年頃から、朝倉氏が築いて繁栄した街、「一乗谷」 京都から逃れてきた多くの文化人もここに住み着き、高い文化を誇ったのだとか。
しかしそんな繁栄した街も、織田信長によって一夜にして焼き払われたとのこと。それは1573年のことで、この街の繁栄は100年余りで終焉してしまうのです。
その街が遺跡として残っており、一部復元されて展示されています。
博物館もよかったです。
盛者必衰のはかなさを味わいました。
〇伊賀忍者の里 三重県伊賀市
伊賀と言えば甲賀と並び忍者で有名ですね。もちろん戦国時代や江戸時代の初期に影で戦力として活躍するマンガや映画に登場するような忍者が有名ですが、私にとって、織田信長に対抗するも負けてしまう伊賀の悲劇に興味がありました。
伊賀の忍者衆は元々、誰に仕えるというわけではなく、合議制でものごとを決める自治共同体だったというのも魅力があります。そんな伊賀の衆は、織田信長の次男である信雄 の無理やりな攻撃により戦になります。(第一次天正伊賀の乱) その戦に勝利すると、信長の怒りをかい、大群の攻撃により伊賀は負けてしまいます(第二次天正伊賀の乱)
まあ容赦ない信長ですが、最初に戦をしかけた信雄はなんなんだ、迷惑な奴だって話ですよね。
信長との戦のときに、伊賀の山城が何個かあったそうですが、最後に残った城だったという「柏野城」の跡に行ってきました。
この戦で、信長は伊賀を滅ぼすことはせず和議を結んだとのこと。その後、伊賀の忍者は、本能寺の変の後に逃げる徳川家康を助けたり、活躍します。ここらあたりの話はこれから大河ドラマ「どうする家康」でも出てくるんでしょうね。どんな描写になるか楽しみです。
伊賀が信仰した「敢國神社(あえくにじんじゃ)」 古い神社です。
隣の甲賀では、飛び出し注意の看板、飛び出し坊やが忍者でした。
ちなみに飛び出し坊やの発祥は、甲賀のある滋賀県なんだそうです。滋賀をドライブ中もたくさん坊やを見ました。
〇安土城の後 滋賀県京都府福知山市 近江国蒲生郡安土山
着いたのが夕方16:00 を回っていて、既に時間切れで中に入れなかったので、ブログには書かなかったのですが、織田信長が建てた「安土城(あずちじょう)」の跡にも行きました。初めて石垣の上に天守閣を置くという、その後の城の建築に大きな影響を与えた城とのことです。
私としては京都のそばに大きな城を築きこれから天下を統一するぞという織田信長の野望の跡として興味がありました。
琵琶湖のそばにあり、小山があり、外から観ると石垣が並んでいました。
悲劇の城ですね。
〇明智光秀(あけちみつひで)が治めた街 京都府福知山市
織田信長の家臣の中で、裏切って「本能寺の変」を起こす明智光秀は外せません。私にとっては、2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」を観てイメージが変わった武将です。
その明智光秀が治めて善政を行ったため、今でも地元の人が光秀を敬っているという福知山市も訪れました。
福知山城が再建されてありました。
街の中心地には明智光秀を祀る「御霊神社(みたまじんじゃ)」がありました。
今、CS放送で大河ドラマ「麒麟がくる」の再放送をしているのをみつけたので、再度観だしています(笑)
〇丸岡城 福井県 福井県坂井市
直接、織田信長に関係があるわけではないですが、ここの築城が 「織田信長の家臣で、越前ほぼ一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊」とのことで、ここに上げました。昔のままで残っている現存12天守の一つというのが魅力的です。(私は昔の建物を実感できるので現存天守が大好きです)
柴田勝家は豊臣秀吉に最後に滅ばされた織田信長の家臣ですね。ここも悲劇です。
■徳川家康にまつわるところ
徳川家康は、まさに今、大河ドラマ「どうする家康」をやっているので、最も旬な武将ですね。
各地で「どうする家康」の展示会やイベントをやっていました。正直、私は家康にそれほど魅かれないのですが、静岡県の駿府城は興味があったので訪ねました。
〇駿府城跡 静岡県静岡市
元々、駿府の地は、今川家が治めていてましたが織田信長に敗れた後、武田信玄に攻められ、その後、徳川家が治めるようになります。 江戸時代になってからは隠居した家康が住み、幕末、明治時代には最後の将軍 徳川慶喜もこの地に住んでいます。
駿府城の跡は静岡市の中心にあり、いまは公園となり、まだ城の遺跡の発掘も行われていました。
静岡市に来て、海にも面し、いい立地だなあと実感し、もし徳川家が秀吉の命で江戸に追い出されなければ、この地や浜松が都になったかもしれないなあと、ふと思いました。
静岡市って正直、今はマイナーな存在なのですが、人の判断によっては立場は変わったかもしれませんね。歴史に「もしも」を語ってはいけないのでしょうが、面白いです。
今回の日本周遊では他のお城等も訪れましたがそれらは戦国時代というより、その後の江戸時代のものなので、ここでは割愛します。
世が乱れたことによって、時代が変わった節目の戦国時代。その中でも、衰退したもの、悲劇に興味が沸く私でした。
ではでは。