あいしろう blog IMAGINE

想像してみよう。それは何をもたらす? この後どうなる?   ときに楽しい夢を。ときには厳しい視点で。 

日頃、運動もしない私がアスリートのように肉離れを起こしてしまって苦労した冬の日々。

 それは突然にやってきた。天気のいい冬の日曜日の午後。駆け込み乗車しようと駅の階段を一段おきに駆け降りたとき、最後の段でふくらはぎにパンと何か当たった感じがした。それが肉離れだった。

 今思えば午前にも駅の階段を少し踏み外して転びかけて軽くケガがをしたのだが、それが午後の肉離れの前兆だったのかもしれない。そのときはスマホをいじりながら立っていた若い男に「何転んでんだコイツ」という目で睨まれたが気にしないでいた。家に帰ったらカミさんにも「いい年なんだから気を付けなよ」と諭された。その言葉を尊重して、その後の 行動を自重しておけばよかった。しかし私は「大丈夫、大丈夫」と軽く考えていた。

 時間に余裕はあったので別に駆け込み乗車をする必要はなかったのだ。しかしなぜか私は「その電車に乗りたい、乗るんだ!」と強く思って駆けていた。 寒い日にいい年した私は準備運動なしに駆けたりしてはいけなかったのだ。そして肉離れだ。
 最初は「あれ、階段か何か物にぶつかったかな?」と思い、後ろを振り返った。別に人や物はなかった。ふくらはぎを触った。「あれ、ちょっと痛いかな?」と思いながらさすってみた。そして歩いてみた。右のふくらはぎに違和感と痛みがあった。右足に体重をかけると痛く、右足を引きずるようにしか歩けなかった。でも最初は歩けないことはないから用事を済ませようとして次の電車に乗った。 しかし段々痛みが増したので思い直して家に帰ることにした。
 右足を引きづりながら家に帰ったら案の定痛みがどんどん増してきた。私の経験したことのない痛み。そのとき「アキレス腱切ったか、それとも肉離れかな?」と自分でも思った。経験したことのない痛みに不安が募って医者に診てもらおうと決意した。とは言っても休日にケガとかしたことないので、こんなときどうすればいいのか、どんな病院がやってるのか全然分からない。まずは夫婦でネットで日曜も やってる整形外科を探した。なるたけ家のそばの方がいいよなと思って、救急を受け付ける近めの総合病院の代表に2件電話したが「今、救急が混んで いて内線もつながりません。後で自分で再度、救急の直通の電話にかけてください。」とつれない返事。他の病院はないかと探し小さ目の 病院がやってるようなので3件目にそこに電話した。そうしたらそこは整形外科がないが姉妹病院を紹介してくれて、幸いそこで診てくれるということになった。休日の病院探しも大変。。。

 いざ病院に向かうとしても自分は歩けないし、カミさんは車を運転できないので、タクシーを呼ぶしかない。普通、家からの移動は電車か自分の車、自転車しか使わないので情けないことにそばのタクシー会社も知らない。こういう非日常のことが起こると色々大変。どうにかタクシー会社を探してタクシー頼んだら配車代420円も取られた。高いなあ。。

 タクシーが来た頃には痛みは更に増し、情けないことに一人で歩けなくなっていて、カミさんの肩を借りてどうにか歩いてタ クシーに乗り病院に向かった。
 病院に着いたら看護師が「歩けないなら車椅子を使いましょう」と車椅子を持ってきてくれて、車椅子も初体験。車椅子で診 察室に行くと、若い医者が”休日の急患”に嫌そうな顔をしながら来て診てくれた。ベッドにうつ伏せに寝させられ、医者がふくらはぎを触り ながら痛みのある場所を確認。内側の筋肉に触ると痛みが走った。
「軽度の肉離れだね。全治一か月」 あっさり診察終了。看護師が湿布と包帯をきつめに巻いてくれた。「包帯で巻いて筋肉を締めて、それで自然治癒を待つ。それしかない。」とのこと。私は「はあ、そんなもんですかあ」と思いながら話を聞いた。看護師が「松葉杖使いますか?」と聞いてきた。 その唐突な問いに「え、要るのかわかんないよう」と思いながら、自力では歩けないので「要るのかなあ」と思ったが、「いくらですか?」と値段を聞いてい た。看護師は値段を知らないらしく携帯で電話して確認してくれて「保証料 5000円です」とのこと。医者が「返しに来ないといけないけど。。。」となくてもいいんじゃないという感じで話してきた。「普通に歩けるようになるのにどれくらいかかりますか?」と聞いてみたら「二週間位。でも運動は全治するまでしないで。」と医者。二週間も自力で歩けないのかあと不安になり「松葉杖、要ります」と答えた。 

 その後、松葉杖の使い方を看護師が教えてくれて歩く練習。なんてことはなく普通に使えたのだが「うまい、うまい」となぜ か医者がほめてくれた。別にそんなこと褒められてもと思ったが、「ありがとうございました」と休日に診てくれたお礼を述べて部屋を出た。

 その後再度タクシーで家に帰り、翌日から二日間は外出しないで家でゆっくりすることにした。時間が経つと痛みはだんだん と和らいで翌日からは結局、松葉杖はなくても歩けるようになった。「結局、松葉杖要らなかったかなあ」と後悔した。とはいえまだ右足のか かとを着くと痛く、ふくらはぎを延ばせず、右足を爪先立ちでしか歩けなかった。それと包帯できつめに締めてると歩きやすかった。「テーピングってやっぱり効くんだなあ。」と日頃運動しない私も感心。

 三日目は大事な用事があったので外出しないわけにはいかなかった。大事な人に会うのでキチンとした恰好をして、なるたけケガを大げさにはしないで用事を済ませたかった。だからちょっと歩くのに不安はあったが松葉杖を持たずに外出した。駅では階段はなるべくエスカレーターを使った。家の最寄り駅は小さい駅なのでエスカレーターの幅は狭く横に二人は乗れない。そうすると早く上がりたい人がエスカレーターを歩いて上がる。私は足が痛いのでエスカレーターで止まっていたが、後ろには歩きたい人が貯まる。こっちの「足が痛いんで歩きたくないんですけどお」という気持ちは分からないから、後ろの人からイライラしたようなプレッシャーを感じた。「全く世の中はせっかちな人が多いな」とい つもはエスカレターを歩いてしまう自分を置いておいて思ってしまった。

 朝のラッシュ時間のピークは過ぎていたが、それでもホームには多くの人が歩いていた。私はまだ足に痛みがあるので、ゆっくりしか歩けない。その横を多くの人が早足で歩き抜けて行った。ちょっと混雑すると私が通行の邪魔になるような場面も。「足、痛いんだか ら理解して」と心で叫んでいたが、ま、見てくれは老人ではないので、「おっせいなこのオッサン」と思われていたと思う。

 そして混雑する渋谷駅まで出たが、地下鉄に乗り換えるのにエスカレーターやエレベータがどこにあるのか分からなかった。よく使う渋谷駅だがそんなことは気にしたこともなかった。しょうがないので階段を使ったが、階段では「皆さーん、左側通行にご協力くだ さい」と整理員が叫んでいた。右足を痛めてるので「右側通行で右側の手すりを持って降りたいんだけど」と心の中で叫んだが、怒涛のような人の流れにそれを許す余地はなかった。しょうがないので左側通行で左手の手すりを持ちながらゆっくりと階段を降りた。地下鉄の改札に向かうにも早い人の流れ の中で自分だけがゆっくり歩いている感じだった。電車の中でも手すりを持ってなるべく右足に負担をかけないように立った。しかし加速、減速のときに結構力がかかりよろけることもあり、慣れない片足使いはきつかった。

 その後、どうにか用事は無事に済ませ、帰りは昼になったこともあり、駅も電車もそんなに混んでなく、行きよりは楽に帰ることができた。
 
 それから数日たつとふくらはぎの痛みはだいぶ和らぎ普通っぽく歩けるようになった。まだちょっと右足は引きずっていて、かかとを延ばすと痛みが走ったが。「ヤッパリ松葉杖は要らなかったかなあ」と再度後悔。

 こんな日々を過ごし感じたのは、冬の寒い日に準備運動もしないで走っちゃいけないこと、未経験のアクシデントは大変なこと。考えてみたら普通の人は土日に運動とかする人は多いので想像するとケガの発生は土日が結構あるのではないのだろうか?統計データはないけど、病気とちがってケガ対応の整形外科は土日開業をもう少し増やしてもいいじゃないなんて思った。

 そして痛感したのは、いかに社会インフラは体に不自由な人に不便な物であるか、周りの人にはケガ人なんかに無情であるか。ま、私は大したケガではなかったけど、体の不自由な人は大変だよなあとたかが数日間だけで感じてしまったのだった。

ではでは。