あいしろう blog IMAGINE

想像してみよう。それは何をもたらす? この後どうなる?   ときに楽しい夢を。ときには厳しい視点で。 

国家っているの?

 最近、世界各地で紛争が起こっている。それぞれに色々な、原因、課題をはらんでおり、国家間の紛争だけではないが、そもそも国家っているのか?と考えてしまった。

 そもそも国家とは何なのかというと、様々な視点で定義できるようだが、「領域(国境)を定めて、そこに住んでいる人々をベースとして統治している集団」と簡単には定義できると思う。今の紛争には文化的衝突も含まれるが、上記の定義の中での「領域(国境)」をめぐる衝突が多く含まれる。そもそもこの「領域(国境)」が要るのか?というのが私の疑問である。ここで「領域(国境)」がなかった場合をIMAGINEしてみよう。

 例えば今の中国との尖閣諸島問題。今までの歴史的経緯は色々あるが、結局、中国も日本も確保したいのは尖閣諸島周辺の海洋資源なのだと思う。ここは経緯はひとまず置いておいて、仮に「尖閣諸島は誰の所有物でもない、全世界共有の資産」と定義してみよう。そうすると全世界共有なのだから訪れたい人は訪れればいい。でも、多分、島そのものは特に訪れる魅力もないので、訪れる人はほとんどいないだろう。で、海洋資源である。石油とかは自然の産物なので、これも共有の資産だ。石油を掘削、採取するにはもちろん費用がかかる。そこは、業者を入札等で選定し、まっとうな経費を乗せて、石油を世界に販売してもらえばいいのではないか? 漁業だって一緒だ。漁業をできる業者、漁獲高等を規定、管理し運営すればいいのではないか? この地域は、うちの国の物だと権利を規定しようとするから紛争になっちゃうのでは? 
 この前、テレビで尖閣諸島を中国に攻められ占領されたらどうするんだ!それは問題だろ!という視点で議論していた。私は素朴に思った、尖閣諸島がとられて何が問題なんだろ?と。 もちろん中国政府が暴挙を起こしたら、それがいいとは言っていない。そもそも尖閣諸島って誰の物なのか?ということだ。
 歴史的経緯は理解できるが、それはもう過去の人類が作った物だ。それも地球、宇宙の歴史から見たらとてもちっぽけな。そもそも過去の話なんだから、今の人類の方が賢いということを示せばいいではないか。

 安部首相が何かのときに「国益を守るために政府は云々」というような話をしていた。私は「国益」という言葉に違和感を覚えた。別に私は「国益」を求めてはいない。皆が平和に、苦難なく生活できればいい。またこの「国益」という言葉に、他国のことはいいから、日本の利益を守ればいいようなニュアンスにも聞こえたのも違和感を覚えた理由だ。

 私は文化というものは人類にとって最も尊いものだと思っている。それは尊重すべきで、異なるものを融合するのは難しいし、無理だと思っている。私は海外出張をよくし、海外に住んだ経験があるが正直、ずっと一緒に過ごすには苦しいとか、全ての文化を受け入れることは難しいものがあった。従ってそれぞれの文化は独立する必要はあり、棲み分けは必要だと思う。しかし、全てに「領域(国境)」を制定することは必ずしも必要かというと疑問に思う。例えば資源や土地の所有に関して工夫をしたい。そこに知恵を働かせたいものだ。その知恵こそが人間の人間たる所以ではないだろうか。